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「末人」の跳梁――羽入「ヴェーバー詐欺師説」批判結語(3−7)

折原 浩

200537

 

 

 

第五節、「火遊びは火傷の元」――「反証」が立証を補完

 

 羽入書第三章第五節「『自伝』におけるコンテキスト」の叙述は、主観的には「反証」のつもりでいながら、客観的には「(相手の)立証を補完」している「意図せざる背反関係」の好例で、反面教材として相応の価値がある。

 羽入はまず、「聖書の言葉[『箴言』22: 29]が引用されているフランクリンの『自伝』のコンテキスト」を、一ぺージにわたって引用する(181)。そのうえで、その文言を、再三再四引用/半引用して織り込みながら、「反証」を繰り広げている。論旨は大きく、三つに分けられよう。

 

1.独自な「恒常習癖」と、ありふれた「機会動機」との相互補完――後者を挙示しても前者を否定はできない

 羽入も二度にわたって引用しているとおり、「確かにここでフランクリンは『読書だけが私が自分に許した唯一の娯楽だった。居酒屋や遊戯場やどんな種類の浮かれ騒ぎの集まりにも私は時間を浪費しなかった。そして私の仕事における勤勉さは相変わらずたゆみないものであった』と書いて」(181, 183)いる。すなわち、そうした「快楽」や「(その種の)幸福」を「時間の浪費」と見なし、「私の仕事」を中心に据えて「たゆみな」く「勤勉」に――つまり、そうした「快楽」や「幸福」にたいしては「非合理的」、禁欲的に――働いた、と述懐している。そのかぎりフランクリンは、「精神」の第一要素的理念型に質的に対応する「生き方(の合理化)」を、「二文書抜粋」で他人に説教するばかりでなく、みずから「地で行って」、『自伝』にも記載していたことになろう。

 もっともかれは、(羽入がすかさず強調するとおり)「『……たゆみないものであったが、それもやむを得ないことであった[原文引用略]』とその直後にただちにsic]付け加えて」 (183) はいる。「自分の職業において以前と同様に勤勉に働き続けた」のは、「たゆみない勤勉さを……もっていたからでもあったが、また同時に、勤勉に働かねばならぬ状況に……あったからこそでもあった」(183)というわけである。では、その状況因とはなにか。@印刷所開設のために借金をしていた、A子どもの出生と教育にそなえる必要があった、B同じ土地の先輩商売敵と競争しなければならなかった、というありふれた三事情でる。そうした事情のもとで、だれしも一定の勤勉に動機づけられ、あるいは「恒常的習癖」としての勤勉(が身についていれば、それ)を、それだけいっそう強められることは、一般経験則として断るまでもない。

  フランクリンは、「そういう状況にあるかぎりで勤勉に働き、それがなくなると途端に勤勉も緩んで、(たとえば)居酒屋通いを始めた」と「世にも稀なほど正直に」告白しているのであろうか。いな。羽入も上記の引用で認めているとおり、(「十三徳」の一項目として、自己審査手帳によって方法的に培った)恒常的習癖としてのたゆみない」勤勉と、機会的状況因によるやむを得ない」勤勉とを、相互に排他的にではなく並列的に挙示して、双方の相互補完関係を明示しているのである。三つの機会的状況因によって、恒常的習癖としての勤勉にいっそう弾みがついたというところであろう。

 『自伝』を執筆しているフランクリンとしては、そこのところを、あまり一本調子に「(徳性としての)勤勉」ばかり強調していたのでは、読者の失笑を買い、「勤勉の勧め」には逆効果にもなりかねないので、賢明にも読者に歩み寄り、読者にも思い当たる動機を補足的に挙げておいたのであろう。かれは、恒常習癖と機会動機とを二者択一の関係に置き、後者に言及し(原語も挙示して強調し)さえすれば前者は否定できる、と考えるほど、生硬な文献観念論者ではなかった。社会科学者のヴェーバーも、比較のパースペクティーフから、前者はフランクリン(というよりも、フランクリンによって例示される「資本主義の精神」)に独自の特徴をなすので「前景に取り出し」、後者は誰にでもある動機で、とくに特徴として取りあげるにはおよばないので「後景に止めた」までであろう。かれ自身も断っているとおり、理念型的/「類型論的」方法にもとづく定式化として、そうした取捨選択にはなんの問題もない。

 羽入自身も、これにつづく段落では、例によって「鋏と糊」の引用/半引用を連ねる冗漫な表記ながら、つぎのとおり、ヴェーバーのように「解釈することはあるいは可能かもしれない」(184)といったんは認めている。

「もちろん、フランクリンはその後すぐに、『とはいえ、暮らし向きは日に日によくなってきた。私のもとからの倹約の習慣は続いていた!]し……』と書いてはいる。したがって、人はこの部分を論拠として、“経済的状況が好転した後も自分は相変わらず倹約家であり続けたのである”とフランクリンはここで書いているのであり、したがって正にここにおいてこそ、フランクリンの倫理が有している『個々人の「幸福」や「利益」に対しとにかく全く超越し、およそ非合理な』傾向といったものが立ち現われているのである、そうした倫理にとってはその時々の経済的状況といったものとは全くかかわりなく[!?]、金儲けが『純粋に自己目的としてのみ[!?]考えられて』おり、したがって『あらゆる無邪気な享楽を厳しく避け……全ての幸福主義的、いやそれどころか快楽主義的観点を取り去られて』いるのである、と解釈することはあるいは可能かもしれない[!]」(184)。

  もとより羽入は、こうした認容のあと、「しかし、……」と反論に転ずる。その反論内容に付き合うまえに、こんどはこの「倹約」という徳目につき、一見羽入に有利な「証拠」を、別途『自伝』から引用してみよう。

「英国の諺に、『身上ふやすにゃ、女房が大事』というのがある。私同様勤勉と節約を愛する妻をもったことは、幸福なことであった。妻はパンフレットを折ったりとじたり、店番をしたり、製紙業者に売るため古リンネルのぼろを買ったりして、まめまめしく仕事を助けてくれた。役にも立たぬ召使などはひとりもおかなかった。食事は簡素を旨とし、家具も一番安いものを使った。たとえば朝食は、長い間パンと牛乳だけで、茶も用いず、それも二ペンスの陶器の丼に入れ、白鑞のスプーンで喰べるのであった。」

 ここまでは、フランクリン夫妻における倹約の習慣の「論拠」と見られよう。しかし、そのあとにはこうある。

 「ところが、なんと贅沢というものは、倹約を主義にしてはいても、いつしか家庭に入り込んで、次第にひろがっていくものなのだ。ある朝食事に呼ばれて行ってみると、磁器の茶碗に銀のスプーンがついているではないか。これは、妻が私に相談もせずに買ったもので、しかもこのために23シリングという大金をはたいたのである。これについて妻は、自分の夫も隣近所と同様、銀のスプーンと磁器の茶碗を使うだけの値打ちがあるから、とこういう以外には、言訳も弁解もないのであった。これが、金銀の食器と磁器が私の家に登場した最初であるが、その後、年とともに身上のよくなるにつれだんだんと数を増し、ついには価額数百ポンドに達するまでにもなった。」(The Writings of Benjamin Franklin, ed. by Smyth, Albert Henry, vol. 1, 1907, New York: Macmillan, p. 324, 松本慎一/西川正身訳『フランクリン自伝』、1957、岩波書店、131ぺージ)

 後半にはこのとおり、フランクリン夫妻の「身上がよくなる」につれ、「世間並の」贅沢が入り込んできて、徐々に「倹約の墓穴を掘る」という逆説的関係(マルクスのいう「原罪の作用」、ヴェーバーの「富の世俗化作用」)が「世にも稀なほど正直に」語り出されており、その証拠には絶好の箇所ともいえよう[1]。しかし、この後半を引用することで前半の「倹約」を否定しようとする論者がいるとすれば、そのひとは、偏見に囚われているか、さもなければ相当に「頭が固い」というほかはあるまい。むしろ、夫妻には、前半につぶさに記述されているとおり、確かに「倹約を主義として」、じっさいにもそのとおりに生きた(少なくとも)一時期があり、その後「身上がよくなる」につれ、(一般経験則どおり)相対的には「贅沢に侵され」てきたとはいえ、「主義を捨てた」わけではなく、贅沢もやはり「世間並程度」に抑えられ、「度はずれた」浪費により「身上を潰す」ことにはならなかった、という実態が読み取れよう。こうした「贅沢の侵入」を『自伝』に「正直に」記載するのも、「(逆説的関係を招き寄せる)節約の危うさ」を読者に知らせ、その陥穽に落ちないように警告する、「倹約を主義として奨励すればこその配慮」と読むこともできよう。いずれにせよ、フランクリンの経済倫理に、(上記引用にあるように、個々人の「快楽」や「幸福」にとっては非合理的な)「節約」「倹約」の一項目を立てることは、理念型構成にとってなんら問題ではなく、ここを「証拠」に異を唱えるにはおよぶまい。

 

2.「落とし穴」を掘る――問いに予め第一要素をかぶせ、第三要素の典拠を捜し、第一要素の証拠は「見つからない」と「自明のこと」のように力説

 さて、羽入は、上記のような認容のうえで、もとより「反論」をくわだてる。「しかしながらこうした解釈を、ソロモンの教え(「箴言」)からの引用の直後にある彼の説明を読んだ後も維持することは残念ながら困難である」(184)と主張し、「私はその時分から、勤勉を富と名声を得る手段と考え、これに励まされていた」という「直後にある彼の説明」をたびたび(合計五回も)引用し、これを「頼みの綱」に、反問し、裁断するのである。

「さて、事ここに至っても!?]、【個々人が決して他の何らかの目的のための手段とみなしてはならず、ましてや家族の幸せといったような幸福主義的な他の目的のための手段として考えてはならず、純粋に幸福主義的な利害関心からするならば全く非合理的なものとしか見えぬにもかかわらず、ただただこの活動が『職業的』活動であるという理由だけから、自分の『職業的』活動の内容に対して無条件に純粋な義務そのものとして感じなければならないという、この『今日われわれにはよく知られた、しかし本当のところは少しも自明ではない』】職業に対する『非合理的』義務思想などというものを、『自伝』におけるフランクリンの記述から引き出すことが、一体そもそも可能であるのであろうか」(185)。

 筆者としてこの問いに「可能である」と答えるまえに一言、これはいったい、なんという文章であろうか。【   】で括った部分、すなわち「個々人が……」に始まり、「……『……自明ではない』」にまで「ただただ」延々とつづく、引用句/半引用句混じりの長広舌が、なんと「職業に対する『非合理的』義務思想」にかかる「冠飾句」なのである。この異様さには、なぜこうした文章が脳裏で組み立てられるのか、との発問を禁じえない。理由はおそらく、こうであろう。つまり、ヴェーバーはここで、「職業義務観」という第三要素の典拠のみ、『箴言』句の引用箇所に求め、『箴言』句そのものから「職業観」を取り出せれば、さしあたりはそれで十分と考えたはずである。ところが、(「迂回路」によって第一要素と第三要素とを「一緒くた」「ごちゃ混ぜ」にしている)羽入は、まさにそこに、「個人の『幸福』と『利益』にたいして超越的/非合理的な『貨幣増殖』要請」という第一要素含み込ませて、これが「当の典拠には見当たらない、見当たる『すぐ直後の』文言は、第一要素には矛盾する、それでヴェーバーは当の文言を隠蔽する詐術を弄した」というふうに論を運びたいのであろう。これが、羽入流「ヴェーバー詐欺師説」造成の「戦略」であった。ところが、そのためには、問いの文章でも第三要素に当たる「職業に対する『非合理的』義務思想」を持ち出すまえに、「冠飾句」で第一要素「『非合理的』貨幣増殖要請」の意味内容を予めかぶせ混入しておかなければならない。そうすれば、読者も、(羽入とともに)第一要素混じりの問いにもとづいて『箴言』句引用の「すぐ直後の言葉」を読み、第一要素の「証拠」を捜すにちがいない(そして、羽入によれば「見つかるまい」)というわけである。下手な文章にも、上手には書けない理由があるようだ。もとより、こうした不手際も、なんとしてもヴェーバーを「詐欺師」に仕立てようという抑えがたい衝動から、例によって第一要素と第三要素とを弁別できない無概念/弱論理と、ヴェーバー/自分/読者を区別できない彼我混濁とがあいまって生じているとしか考えようがないので、主観的に意識して読者を誤導する「詐術」とはいえまいし、いうつもりもない。

 さて、羽入は、畳みかけて問う。「一方でのフランクリンの『富と名声を得る手段』としての勤勉に対する見方、他方でのフランクリンの倫理の『最高善』は『個々人の「幸福」や「利益」に対してはとにかく全く超越したもの、およそ非合理的なものとしての……金儲けである』というヴェーバーによる解釈、この二つのものの食い違い!?]を、それにもかかわらず橋渡しすることは可能なのであろうか」(185)と。筆者は、「可能である」と答えよう。しかしそのまえに、羽入には、そのふたつがどう「食い違う」のか、説明してもらいたいものである。そうすれば、その説明に、筆者も(おそらくは読者も)反論を加えて、議論が成り立つであろう。ところが、羽入は、「それはしょせん無理というものであろう[なぜ!?]。聖書からの引用のすぐ直後のsic]言葉だけで、フランクリンの倫理は個々人の『幸福』や『利益』を超越しているなどというヴェーバーの議論を破綻させるにはもう十分であるようにわれわれには思われる」と決め込んでしまう。「なぜそう思われるのか」の説明がない。これが、この論点にかんする羽入の結語/最終答弁である。

  そのあとには、この思い込みを「自明の前提」として、ただ語勢を荒らげるだけの論難がつづく。ヴェーバーによる「精神」の理念型は、「素材とされた!?]『自伝』からもはや余りにも大きく隔たってしまっており、極端にグロテスクなまでにデフォルメされ、フランクリンの素顔とはもはや似ても似つかぬものとなってしまった」(186)のだそうである。羽入は、「ヴェーバーの議論を破綻させ」えたと確信して威勢がよくなったのか、それとも、自信がないので虚勢を張っているのか。いずれにせよ、「ヴェーバーは自分が作った『資本主義の精神』の理念型の非現実性を認めて、破棄すべきであった」のに、逆にそれに「固執」し、「プロクルーステースの床」にしつらえてしまった、と裁断するのである(187-8)。

 

3.「落とし穴」に自分が落ちていても無頓着――「勤勉を富の手段と心得る」とは、「富(貨幣増殖)を勤勉(禁欲的)に追求する」ことと同義ではないか

 しかし、一方で「勤勉を富と名声を手に入れる手段と心得る」ことと、他方で「貨幣増殖を『自己目的』『最高善』とし、個々人の『幸福』や『利益』にたいしては超越的、『非合理的』に追求する」こととは、はたして「食い違う」のであろうか。「名声」についてはあとに回し、まず「富wealth」を取り上げて考えてみよう。

 このばあいの「富」とは、「わざの巧みさ」「職業における熟達/有能さ」を称揚する『箴言』句の直後に、(羽入も再三強調するとおり)当該句の引用にかんするフランクリンの「説明」として出てくるところからも、職業の貨幣獲得ではなく職業活動としての持続的営利追求(「経営」)によって持続的に獲得される貨幣利得、その意味の貨幣増殖を指していると解するほかはあるまい。なるほど、フランクリンはここで、そうして獲得される「富」を、「職業における熟達/有能さ」結果」「表示」と見て、「自己目的」、「最高善」とは呼んでいない。しかし、それは、「勤勉」を「手段」とする「目的として語られてはいる。では、「勤勉「富」すなわち「貨幣増殖」という「目的」を追求するとは、どういうことか。それは、途上で「目的」達成には役立たない(「目的合理的」な、「自己充足的consummatory」な)享受としての「快楽」や「幸福」(たとえば「酒場通い」)は断念/排除し、自分の行為を、もっぱら(当の行為自体には超越している)「目的」を達成する「手段」、「手段的instrumental」行為として、みずから制御していくことであろう。そしてヴェーバーは、「禁断苦行Kasteiung」ではなく、そうした自己制御をこそ「禁欲Askese」と呼ぶ。とすれば、「勤勉を、富を手に入れる手段と心得る」とは、その意味の「禁欲」を意味し、これは、consummatoryな「快楽」「幸福」ないし「(そうしたconsummatoryな)利益」の観点からは、超越的で非合理」というほかはあるまい。フランクリンは、そういう「勤勉」つまり「禁欲的」な「富」追求を、即「職業義務」、「義務を遂行する倫理的行為」と感得し、この想念に「励まされて」、みずから「職業義務」としての「貨幣増殖」をめざして勤倹力行したというのであろう。

 そういうわけで、前者と後者とは、「食い違う」どころか、じつは同じことを指している。後者には(質的な「置き換え」や「混濁」ではなく)「(量的な)相対的誇張」が見受けられるとしても、それは、理念型的にメリハリをつけて表現しているから当然であろう。そこのところを、羽入は、「事ここに至っても」とか、「しょせん無理」とか、「議論を破綻させるにはもう十分」とか、なんの根拠も示さず、ひたすら自分の判断を押し通そうとする。フランクリンによる言語表現の意味を汲み取って、概念的に定式化し、ヴェーバーの解釈との異同を論証するという学問的作業は放棄し、ちょうどその分、「鋏と糊」の反復と「自明の理」であるかの語調/語勢に、力が入っている。かれがいったいなにを読み取り、なにを考えているのか、筆者には分からない。

 

4.「勤勉を名声の手段と心得る」とはどういうことか――「名声」の多義性 

 ではつぎに、「名声distinction」についてはどうか。フランクリンがそれを、(「名声」という訳語からただちに思い浮かぶ)fame, renown, reputation, celebrity, prestigeなどの語彙ではなく、“distinction”という語をもって表記している事実に注意を止めたうえで、一考してみよう。「名声をえている」とはまず、少なくとも一面として、多くの人々から高い「信用credit」をえている、という事態を意味するといえよう。とすれば、その「信用」は、他人から遊休金を借りて運用し、貨幣増殖という「目的」を達成する「手段」として役立ち、そのようなものとして確かに、(「貨幣増殖−信用−徳目[勤勉/正直/節約など]」という)フランクリン経済倫理の「三項図式」に編入され、位置づけられる。

 ところが、フランクリンは、その「名声」を、「富」手段」としてではなく、むしろ「富」と同じく、「勤勉」を「手段」として追求すべき「目的」として、「富」と併記している。とすると、この点については、ふたとおりの解釈が可能である。ひとつには、その“distinction”とは、「名声」と邦訳されてはいるが、じつは文字通り「(職業上の)卓越distinction」つまり「職業における熟達/有能さ」そのものを意味する、とも解されよう。そうした「卓越」には、事後人々からの自然発生的な肯定的反応(敬意表明)として、「信用」とともに「栄誉honor」や「威信prestigeがついてくるとしても、これらは、意図して追求された「卓越」の、(追求者自身によっては)「意図されざる随伴結果」にすぎない、と考えられよう。他方、「名声」は逆に、そうした「意図せざる随伴結果」の域を越え、「世評reputation」ないし「威信prestige」に親和的な、(それを獲得するだけで感情的満足のえられる)「自己充足的consummatory固有価値」として、かえって意図して、「自己目的的に追求されることもありうる。そうなると、「(職業上の)卓越」も(もとよりそのための「勤勉」も)、当初には「固有価値」として「目的」「自己目的」として追求されていたのに、こんどはそうした「名声」をかちえるための「手段に転化するであろう。さらには「富」さえも、「世評」「威信」としての「名声」が「自己目的」と化して、この「名声」の「固有価値」によって凌駕されるとなると、「名声」と同等の「目的」から、「名声」手段に転落し(あるいは推転をとげ)、「名声」のためとあれば容易に「犠牲にも供されよう。「名声」獲得/確保のためには、貨幣増殖には役立たない、経済性をともなわない「冗費」が支出されることも頻繁に起きえようが、それ以上に、「名声」に「あぐらをかいて」、貨幣増殖のための「勤勉」「禁欲」が弛緩し、貨幣利得がそれだけ恒常的に減殺されることにもなりかねまい。これは、「富の世俗化作用」と機能的に等価の名声の世俗化作用」が、営利追求/貨幣増殖の「経営」にもおよぶ事態、と言い換えてもよかろう。

  そういうわけで、フランクリンが『自伝』に記した「名声」とは、「貨幣増殖をめざす『禁欲』」の観点から見ると、@「職業的熟達/卓越」とその「意図せざる随伴結果」(どまり)、A(遊休金を借りて運用し)貨幣利得を獲得する「手段」となる「信用」の(かならずしも当てにはならない)指標、B(「随伴結果」から)「自己目的」と化して、「目的」(貨幣増殖)に支障をきたす負の「固有価値」、といった多義性を帯びている。まさにそれゆえ、とくにこのBへの転化傾向ゆえに、「禁欲」はつねに、「名声」にたいしてはなにほどか「疑いと警戒の目」を向けている。とすれば、フランクリンによる「富」と「名声」との無造作な併記は、かれには両者の関係を問題として受け止めるセンスがなく、この点がかれの副次的特徴(「禁欲」から見れば一種の「甘さ」)をなしている実情を、「問わず語りに語り出している」ともいえよう。

 

5.ドイツ・ブルジョワジーにおける「信託遺贈地」問題――「名声の世俗化作用」による資本蓄積の減速

 ところが、ヴェーバーは、この「富と名声との背反関係」(いっそう正確には、「名声の世俗化作用」が「富」追求その他の「職業的禁欲」を掘り崩す関係)を問題として熟知していたばかりでなく、じつはこの微妙な問題が、「倫理」論文の背景、その執筆にいたる動機のひとつをなしていたとも考えられる。そこで、少し長くなるが、同じ「倫理」論文第一章第二節から、関連論及の箇所を引用してみるとしよう。

現在では……『資本主義精神』を性分ともする人々に、……休みなく奔走して自分の財産を片時も享受しようとしない生き方に、いったいなんの『意味Sinn』があるのか、[宗教とは疎遠になり]生活の準拠標を[「天国」、彼岸ではなく]もっぱら此岸に置くようになったのであれば、そういう生き方にはまったく意味がないではないか、と[単刀直入に]問うてみるとすれば、かれらは、はたと当惑するであろうが、ときには『子や孫への配慮から』と答えることもあろう。しかしそうではなく、『自分にとっては、不断の労働をともなう事業Geschäftが、それなしでは生きられないものになってしまっているから』と端的に答えるばあいもあり、このほうがずっと多いであろう。しかもこれは、『子や孫への配慮』よりも、いっそう正確なrichtiger[「資本主義の精神」にいっそうよく整合する]回答である。というのも、『子や孫への配慮』は、かれらに特有の動機ではなく、『伝統主義的』な人々にもまったく同様にはたらいているのが見受けられるからである。じっさい「生きるのに不可欠」という回答こそ、かれらの動機を唯一的確に説明すると同時に、『事業のために人がいて、その逆ではない』というその生き方が、個々人の幸福という観点からはまったく非合理的であるという実情を、こよなく表明している。」(GAzRS, I, 54, 大塚訳、79-80、梶山訳/安藤編、120-1)

  ここまでは、「(貨幣増殖を自己目的とする)事業」と「人間」との「無意味な」倒錯/主客転倒という(お馴染みの)「自然主義」的論点である。ところが、これに加えてヴェーバーがいうには、

「もとより、財産所有という事態そのものではなく、それによってえられる権勢Macht名声Ansehenを求める感情が、そのさいに一役を演じてはいる。今日のアメリカ合衆国のように、全国民の幻想が『(ただたんに数量的に大きいだけの)大物』に向けられているところでは、そういう数字のロマンチシズムが、抗いがたい呪力を帯びて商人のうちの『詩人』にはたらきかけている。しかし、それ以外のところでは、企業家のうちでも、もともと指導的な地位にある人々、とりわけ長期にわたって営業実績を挙げている人々は、そうした呪力の虜にはならないのがふつうである。いわんや、ドイツにおける成り上がり資本家家族の経歴によく見かけるような、[左前になった土地貴族から]世襲財産(信託遺贈地)を買い集め、[皇帝の勅許状によって]名目貴族に列せられ、そのようにして[資本を市場の荒海から引き上げて]安全港に逃避し、息子たちには[事業を継がせるのではなく]大学や官庁につとめさせて[市民層(ブルジョワジー)出身という一族の]素性を忘れさせようとつとめる、といった[「名声」「栄誉」「威信」を「固有価値」と感得するあまり、自分の「職業」「事業」「貨幣増殖」を「二の次」として「ないがしろ」にするような]ことは、亜流者風の頽廃の産物にすぎない。ドイツでも個別には傑出した実例の見られる資本主義的企業家の『理念型』は、そうした一段と粗野な、あるいは一段と上品な成り上がり根性とは、似ても似つかぬものである。そうした企業家は、見栄や不必要な支出を好まないのみか、故意に自分の権勢を利用することを嫌い、また、自分が現にえている社会的尊敬に外面的な褒賞äußere Zeichen[の上塗り]を施されることも悦ばずに辞退するものである。言葉を換えていえば、かれらの生き方にはしばしば、先に引用したフランクリン説教(は、そのかぎりで)表明されているような、一定の禁欲的特徴がそなわっている。この重要な現象の歴史的意義については、後段で立ち入って論ずるとして、ここでちなみに[フランクリンを引き合いに出したついでに]特筆すれば、そうした企業家には、冷静な謙虚さkühle Bescheidenheitが適度に認められることも、めずらしくはない、というよりもきわめて多い。そうした謙虚さは、フランクリンも得策として[目立たないように振る舞ったほうが、事業が順調/円滑に運ぶし、あとになって功労者がだれかは分かるものだから、一石二鳥の「効果」がえられるとして]推奨できたあの控え目の狡智Reserveにくらべて、ずっと誠実aufrichtigerなものである。そういう企業家は、自分のReichtumから、自分一個人Personのためには『一物ももたない』。よき『職業の遂行Berufserfüllung』という非合理的感情以外には。」(GAzRS, I, 54-5, 大塚訳、80-1、梶山訳/安藤編、121-22)

 この一節は、じつに意味深長で、おそらくはさまざまな観点からさまざまに解釈され、批判されもしよう[2]。本稿では、当面の問題にかかわる一端に触れると、ヴェーバーは、「倫理」論文初版を『社会科学/社会政策論叢』第20/21巻(1904/05)に掲載するのに先立ち、第19巻(1904)に(「客観性論文」とともに)「プロイセンにおける『信託遺贈地問題』の農業統計的、社会政策的考察」と題する論文[3]を発表していた。そこで槍玉に挙げられ、克明に分析され、(分析とは峻別して)価値評価くだされているのが、上記、資本を土地に転じ(逃避させ)て(土地)貴族に成り上がる――そうしたがる――ドイツ・ブルジョワジー(資本主義的企業家層)の一類型(「亜流者」)である。ヴェーバーは、かれらが、「ブルジョワジー」としての「存在被拘束性」をあえて引き受け、「貨幣増殖」「資本蓄積」を「職業的使命として担い生涯その使命に徹しようとするのではなく、虚栄心から「土地貴族」に転身しようとする「脆弱性」(その意味における「階級としての未成熟性)を痛撃してやまない。と同時に、社会科学者としては、「ブルジョワジー」という社会層(統計的集団)が、現実には「『資本』という経済学的カテゴリーの人格化」(マルクス)としては振る舞わ、「資本家機能」に甘んじ、「生身の人間として」(「貨幣増殖」「資本蓄積」よりも)「名声」「名誉を求めて行為し、社会層間を移動し、そうした動向がドイツにおける近代資本主義発展の減速をまねいている以上、(ヴェーバーにとって「由々しい」)そうした現実を問題として直視し、理論的に説明するには、(たとえば「ブルジョワジー」という社会層をなす)諸個人の「社会的行為」について、その動機」を「解明」「理解」するとともに、(そうした「社会的行為」の)「集合態」の制約/規定条件としては、(経済財の所有−非所有にもとづいて「ライフ・チャンス」を共有する人間群/統計的集団としての)「階級Klasseだけではなくそれに加えて(「社会的名誉」感と「ライフ・スタイル」に根ざす人間群/ゲマインシャフト形成態としての)「身分Stand」の概念も構成/用意して、(諸社会層をなす)諸個人の「集合態」的行為の動態を複眼的分析する以外にはないと考え、その道を切り開いていくことにもなろう。

 なるほどヴェーバーは、一学究としての個人の生活歴において深刻な「職業義務観」問題に直面し、以後この問題を生涯にわたって担うにいたった。しかしかれは、その問題をいわば無媒介に、実存史から歴史へと投影して、「倫理」論文を執筆したのではない。そうするまえに、社会科学者としてドイツ社会の現実に考察をめぐらし、ほかならぬ「職業義務観」を核心に据えて「資本主義の精神」の理念型概念を構成し、これを道具(「表現手段」「索出手段」)として研究を進めていくまえに、そうすることの意味(「文化意義」)を、フランクリンとフッガーばかりでなく、ドイツ・ブルジョワジーの「亜流者」類型や(それとは対照的な)「ドイツでも個別には傑出した実例の見られる資本主義的企業家」の「理念型」[4]をも広く射程に収める比較のパースペクティーフのなかであらかじめ見定め、そのうえで「倫理」論文の執筆にとりかかり、「満を持して」発表するにいたったのである。この論文でかれは、確たる理由があって、つまり読者との「トポス」として、「精神」の「暫定的例示」のために、そのかぎりで真っ先にフランクリン文献を取り上げ、十全に活用するにはした。そうした位置価ゆえに、フランクリンへの論及は、なるほど主としては第一章第二節冒頭に集中している。しかし、フランクリンへの直接論及も、けっしてそこだけではない。たとえば上記引用の一節でも、後段で「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」を論ずる本論の関連箇所[5]でも、折に触れてはかれを引き合いに出し、「暫定的例示」にも立ち帰って、その意味内容を限定し返している。

 ヴェーバーのフランクリン論について学問的に議論しようというのであれば、少なくともそうした直接の論及箇所だけでも調べ上げ、当該箇所の論旨と論及の趣旨とを十全に把握しておく必要があろう。とくにヴェーバーが、特定の比較の観点から、フランクリン経済倫理のある側面を「前景に取り出し」、他の側面は「後景に止める」と明記して断っているのであるから、まずはその比較の観点がいかなるものかを押さえてから批判(するならするで、それ)に着手するのが、学問の作法/手順というものであろう。そうせずに、第一章第二節の冒頭にいきなり「とびつき」、そこに視野をかぎり、比較のパースペクティーフにも無頓着に、さながら「井の中の蛙」が「プロクルーステースの顕微鏡」を覗き込むように、数段落中の二三の文言を抜き出しては『自伝』の字面との間を往復し、そうした「キーワード検索」だけで「能事終われ」とばかり「ヴェーバーのフランクリン像」を云々するとは、いったいなんとしたことであろう。そのようにして「ヴェーバー藁人形」をしつらえ、それに斬りつけては本物も打倒しえたかのように装い、「世界初の大発見」に酔い、「人間性の最高段階に登り詰めた」と思い込む「精神なき専門人、心情なき享楽人」が、なんとしたことか数々の審査をくぐり抜けて「言論の公共空間」に登場し、(専門家の意見も聴こうとはしない)「大衆人」(オルテガ・イ・ガセ)の「推薦業者」「激賞屋」を誑かして「山本七平賞(=政治SHOW)」を受け、「学界−ジャーナリズム複合体制(コンプレクス)」の「寵児」よろしく、大手を振って闊歩し始めたのである。これこそ、「倫理」論文末尾の「末人跳梁」予言が、21世紀初頭のこの日本で、真っ先に倫理学専攻「東京大学学術博士」の出現として、ものの見事に的中した事態ではないのか。

 とまれ、上記の一節も、フランクリンへの直接論及のひとつであるが、見られるとおり、フランクリンの「二文書抜粋」に表明された「説教」(第一要素)と、『自伝』(に吐露された「控え目の狡智」勧告)から窺われる現実の「生き方」の「功利的傾向」(第二要素)とを、明確明示的に区別し、この理念型尺度をドイツの社会的現実に適用している。「ドイツにおける資本主義的企業家」の「理念型」には、前者の禁欲的特徴」は認められるが、後者の功利的傾向」は見られない(フランクリンに比べて「ずっと誠実である」)という。しかも、後段の議論は、「富の世俗化作用」ではなく、「名声の世俗化作用」をめぐって展開されており、(「富の世俗化作用」以前に)「富」(貨幣増殖、資本蓄積)を「自己目的」として「勤勉」に追求する「禁欲、「名声の世俗化作用」によってかえって弛緩するという逆作用逆効果を、鋭く問題としている。この観点からは、「名声の世俗化作用」に屈しない「ドイツにおける資本主義的企業家」理念型」と、それに脆くも屈する亜流者類型とが区別されたうえで、その中間にフランクリンが位置づけられているといえよう。

 ヴェーバーは、「名声」の両義性についてここまで考えている――というよりも、ドイツの社会的現実に即して、「名声」誘因が貨幣増殖への「禁欲」を弛緩させる「名声の世俗化作用」をこそ問題としている――のである。したがって、「勤勉は富名声への手段」と語って「富」と「名声」とを不用意に併置するフランクリンの甘さを衝き、これと(現在の)「アメリカ合衆国」型「大物」幻想との歴史的「意味(因果)関連」を探り出していくことも、十分になしえたのではあるまいか。しかし、「倫理」論文第一章第二節第7段落のコンテクストにおける『箴言』句引用の目的は、「貨幣増殖」を「自己目的」として禁欲的に追求する「(生き方の)合理化」の遡行極限を、「なぜ、そうまでして」との問いに答えるかたちで探究し、その背後に「職業義務観」を、さしあたりは究極的な――つまり、それではなぜ「職業」を「義務」としなければならないのか、というさらなる問いには、まだ「理」をもって答えてはいない、その意味で非合理的な――「固有価値」因子として探り当てたからには、すでに十分に達成されている。そのうえは、さらなる遡行極限の(宗教性の領域に踏み込む)探索は、後段の本論に送り込み、「では、そうした『職業義務観』を核心とする『資本主義の精神』を、歴史的与件として受け取るとすれば、それは翻って、近世以降の歴史、とりわけ『資本主義文化』の展開に、いかに作用し、いかなる歴史的『文化意義』を帯びたのか」というこの節の本題に転ずることができる。それが、「ものごとの順序」というものであろう。そこでは、そうした「職業義務観」が歴史的に生成しなかったか、いち早く生成しても「伝統主義」に逸れたり(「ルター派」のドイツ!)、衰微したりした地域では、「そのために、いったいなにが起きたか」と問い、「ドイツ・ブルジョワジー」の「亜流者」類型における「土地貴族への転身」を一対照例として、逆に「職業義務観」の積極的な「文化意義」を浮き彫りにすることができるし、現に上記の一節ではまさにそうしているのである。

 ヴェーバーの叙述は、そのように厳格に――いうなれば禁欲的に――制御された論理展開の途上で、必要最小限のことを的確、簡潔に述べ、冗漫な反復や論脈逸脱は極力避けている。「倫理」論文は、じつに豊富な内容を圧縮していて、読めば読むほど深い含意や言外の示唆を引き出すことができるのであるが、叙述としてはいわば「贅肉を削り落とし、スリムに引き締まった作品」の体をなしている。したがって、第7段落の当該箇所でも、フランクリンの『自伝』から『箴言』22: 29の引用箇所を取り出して挙示し、さしあたり遡行極限としての非合理的価値因子を(「職業義務観」として)索出する目的は達成したからには、直後の「富名声の併記」についても、そこに潜む問題性と展開可能性に論及しようとする食指を(あるいは)動かされたにせよ、なにもここで引用し、(いったんそうすれば注釈を加えざるをえないので)論脈逸脱を犯し、叙述の緊密な整合性/簡潔性を乱すにはおよばない、と思いなおし、見合わせたのでもあろう。

 ただ、かりに「勤勉を富と名声を手に入れる手段と心得た」という文言を引用したとしても、「富名声」についてさほど深読みせず、両者を「富(財産所有)とそれにもとづく名声」すなわち「名利」として一括し、「名声」を「大なる信用」ととれば、フランクリン経済倫理の「(職業致富としての)貨幣増殖−信用−勤勉」という三項図式を簡潔に要約している恰好の標語と解され、その旨注記して論証を補足することは、しごく簡単にできたことであろう。つまり、羽入が「反証」として自明視するフランクリンの「説明」は、よく読めばじつは、ヴェーバーが「暫定的例示」として活用したフランクリンの経済倫理を、その趣旨で集約し象徴する恰好の証拠だったのである。その意味で羽入は、主観的意図はともかく客観的/整合的には、自分自身のほかならぬ「反証」によって、ヴェーバーの論証をこよなく補完していたことになろう。

 

6.『箴言』句引用と後続文言省略は、後者を読者に知らせない「仕組み」――「でっち上げ」「詐欺師」判決まであと一歩

 ところが、羽入は、「好き勝手に資料を切り刻んでしまうヴェーバーのこうした強引さ!?]は、フランクリンの『自伝』からの聖書の言葉の引用の仕方そのものにもそもそも見受けられる」(188)という。なにかと思えば、「フランクリンの答えを『箴言』22: 29からの引用のみで切ってしまって、……フランクリンがその直後に『自伝』で何を述べていたかは分からないような仕組みになっている」(188)というのである。

 なるほどヴェーバーは、「なぜ『人から貨幣をつくら』なければならないのか」との問いにたいするフランクリンの回答を『自伝』から引用するさい、『箴言』句の「引用のみで切ってしまって」いる。しかしそれは、「倫理」論文第一章第二節第7段落の当のコンテクストでは、「貨幣増殖を『最高善』として禁欲的に追求せよ」という経済倫理(第一要素)の背後に、(さしあたりは)究極的な倫理的価値として「職業における熟達/有能さ」を索出すればよかったので、簡潔を旨とし、必要にして最小限の引用に止めたまでのことであろう。ヴェーバーが、「好き勝手に資料を切り刻み」、(このばあいについていえば)「勤勉を富と名声を手に入れる手段と心得た」という後続の文言を、故意に切り落とし、読者には「分からないような仕組み」をつくったというのではあるまい(そんな「下手な小細工」を弄したところで、『自伝』をひもとけば「すぐにばれる」ではないか)。ところが羽入は、このばあいにも(自分の思い当たる動機を他人に投影して)ヴェーバーの(的確かつ簡潔な)引用も、むしろ「不都合」な文言を意図的に伏せ、自説の破綻を読者に隠蔽しようとした所作、と解したがる。だがそれは、邪推/曲解(いうなれば「下司の勘繰り」)というものではないか。というのも、「勤勉を富と名声を手に入れる手段と心得た」という当の文言は、意味を汲めば、縷々解説してきたとおり、「貨幣増殖−信用−勤勉」というフランクリン経済倫理の「三項図式」を象徴する標語とも見られ、(「名声」問題に深入りさえしなければ)直後につづけて引用ないし注記してもいっこうに差し支えなかったばかりか、むしろ恰好な証拠の引用を逃して惜しまれるくらいのものである。少なくとも「不都合」として「隠蔽」しなければならないような、そうした意味内容の文言ではない。

 ところが、羽入はなぜか、当の文言が「貨幣増殖を『自己目的』として禁欲的に追求せよという要請」(第一要素)とは「食い違う」と、先程から指摘してきたとおり、いわば「頭から決めてかかって」いる。そこを「どう読むのか」、どう「食い違う」のか、の説明がない。代わっては、「事ここに至っても」とか、「しょせん無理」とか、「議論を破綻させるにはもう十分」とか、自分の臆断(としかいいようのない、理由の開示がない判断)を押し通そうとする。しかも困ったことに、かれには自己中心的な彼我混濁の傾向が顕著で、自分がいったん「食い違う」「不都合」と決めると、ヴェーバーも同じように「食い違う」「不都合」と解し、自分(羽入)と同じように[6]読者に隠そうとしたにちがいない、と決めてかかる。ただし、この第五節では、ヴェーバーの『箴言』句引用箇所が、(羽入から見て)客観的にそういう「仕組みになっている」と、「作為を仄めかす」だけに止め、ヴェーバーが主観的に意図して「隠蔽操作」つまり「詐術」を弄したとまで断定はしていない(断定は、この伏線のうえに第六節でくだされる)。ここでは、「直後のフランクリン自身の言葉を引用しないことは恣意的引用と言わざるを得ない」(188)と、これまた「それがなぜ恣意的か」の論証ぬきに、主張している。そして、またしても『箴言』22: 29を引用したあとに、「この聖書の言葉のおかげで、自分は勤勉を富と名声を得る手段とみなすようになった」との「頼みの綱」の文言を添え(第五節九ぺージ中、これで第四回目!)、それで立証が完了したかのように、議論を打ち切っている。

 そのあとには、第五節の末尾なのに、突如、第三章全体の結論が出てくる。しかし、当の結論内容は、つぎの最終結論(第六)節に繰り下げ、筆者による批判の結論を逐一対置し、本稿も締め括るとしよう。

 

第六節「天を仰いで唾する」も、降り落ちてくる唾を感受できない

 羽入の結論は、つぎのように述べられている。「われわれはこれまで、フランクリンの功利的傾向を否定するためのヴェーバーの論拠を検証してきた。否認の一つ目の根拠は、ヴェーバー個人の嗜好のレベルを越えるものではなく、論証の根拠とは到底呼び得ないほどに薄弱なものに過ぎなかった。否認の二つ目の論拠は、焦りの余り、『啓示Revelation』という言葉に関するコンテキストを読み誤った末に作り出されたものであった。そして否認の三つ目の論拠は、『自伝』を現に読んでいる人間には到底付いていけないほどのグロテスクなまでの暴論となった。」(189)

 羽入は、こうした評言が、「天を仰いで唾する」にひとしく、ことごとく自分に降り落ちてくることに、気がつかないのであろう。

 では、いたしかたない。煩を厭わず、筆者による批判の結論を対置していこう。まず、「フランクリンの功利的傾向を否定するためのヴェーバーの論拠」という捉え方が、そもそも問題で、羽入の誤読である。ヴェーバーは、フランクリンの功利的傾向を単純に否定/否認したりはせず、かれの経済倫理の「第二要素」として直視し、「資本主義の精神」の「歴史的個性体」概念に包摂していた。したがって、羽入のいう「論拠」も、単純な「否定」の論拠ではなく、「功利的傾向を越える側面」を指摘し、「第一要素」「倫理/エートス性」との対抗拮抗関係(したがって「資本主義の精神」総体の変動傾向)に照射を当てながら、その関係を背後から支える「第三要素」「職業義務観」を探り出していく、そういうダイナミックな思考展開の一環であった。むしろ羽入が、「フランクリンの人柄はまるごと、倫理的か、それとも功利的か」といった生硬な観念論的二者択一を持ち込んで、理念型的思考展開の一局面を「功利的傾向否定論」に固定してしまったのである。 

 「論拠@」については、ヴェーバー自身は、なるほど「『自伝』に『ともかく世にも稀なほど正直に』表明されている『フランクリン自身のキャラクター』」に論及してはいる。しかし、なにも(「表現様式」と「キャラクターの質」とを混同して)当の「キャラクター」そのものが「正直」とか「誠実」とか論定したわけではない。ところが、羽入は、(けっきょくは)誤訳に引きずられて、ヴェーバーがあたかも「自伝に現われているベンジャミン・フランクリンの世にも稀なる誠実な性格」(大塚訳、47ぺージ)を論じ、あるいは「自叙伝にあらわれているベンジャミン・フランクリンの性格が、とに角世にも稀な誠実の人であることを示している」(梶山訳/安藤編、94ぺージ)と指摘したかのように読み誤り、早まって「倫理的価値判断」「個人の嗜好」と取り違えてしまった。その結果、(「原典主義者」として、どんなに『自伝』諸版の信憑性について詮索を重ね、研究への準備はおさおさ怠らなかったとしても、研究の本番では)その原典に就いて「フランクリン自身のキャラクター」を探索するにいたらなかった。したがってもとより、「貨幣増殖−信用−(勤勉/正直/節約などの)諸徳目」のうちの第三項に、功利主義者としては度はずれた力点を置き、「十三徳」を「(たんなる思弁的理論的功利主義的確信の域をこえて習慣として身につけ」「エートス化」するため、自己審査手帳をつくって方法的な自己制御を重ねるといった、フランクリンの「功利主義を越えるキャラクター」を、突き止めることはできなかった。『自伝』の字面には目を通したとしても、その意味を汲み出すことができなかった。

 「論拠A」については、ここで多少敷衍すれば、こうである。フランクリンは、「三徳」への功利主義的な理論的確信から「十三徳」の実践的樹立へと(「生き方」の「倫理的合理化」という観点から見て)踏み込んだ局面で、まさにそうすればこそ、自力ではとうてい「完徳の域」には到達できないという(自分を含む人間の)「倫理的な弱さ」を自覚するにいたった。それと同時に、かれは、そうした「倫理的脆弱性」が(カルヴィニストの「隠れたる選びの神」「予定の神」以外からは)指弾されることなく、むしろ現世には、善徳の程度にほぼ見合うように幸福利益が配分される平衡関係」「平衡構造」があると見、これを(彼自身の「平衡感覚」にかなう)現実の「倫理的合理性」として受け入れた。他方、かれは、そうした「平衡」を成り立たせ、支えている究極の根拠を、人間一般の「倫理的脆弱性」を寛大に許したうえで「善徳に報い、悪を罰し」、そのようにして人類の「幸福」「利益」を(相対的には最大限に)増進しようとする「勧善懲悪神」の摂理に求めた。この神は、「固有価値」としての徳目の遵守に「自己充足的consummatory」には徹しきれない――完全に価値合理的」には生きられない――「倫理的に脆弱な」人間にたいしても、徳目遵守の効果として「幸福」や「利益」をあてがうように配慮し、そうした「効果目当ての」徳目遵守(これを、キルケゴールは、「倫理領域への転移」として厳しく指弾するが、フランクリンの神は、それ)をも、「悪徳に陥るよりもまし」と大目に見、そういう「脆弱な」人間にも、「幸福」や「利益」を期待させることで「無理なく善徳に向けて動機づけ」ようとする、その意味における慈悲の神」でもあった。フランクリンのこうした信条を、ヴェーバーは、「そのように善徳が『有益』と分かった事態そのものを、[自分の独創として誇示するのではなく]そのようにして自分にも善をなさしめようとする神の啓示に帰している」(GAzRS, I, 35, 大塚訳、47、梶山訳/安藤編、74)というふうに表記したのであろう。

 その典拠を『自伝』のなかに捜すとすれば、たとえばつぎのような箇所が思い当たる。フランクリンは、「長老教会の会員として敬虔な教えを受けて育った」。なるほど(特徴的なことに)、その教えのなかでも「神の永遠の意志」「神の選び」「定罪[捨てられた者への永遠の罰]」、要するに「予定説」は、かれには信じられなかった。しかしかれは、「だからといって、宗教上の主義をまったく持たないわけではなかった。たとえば、神の存在、神が世界を創造し、摂理にしたがってこれを治めたまうこと、神のもっとも嘉したまう奉仕は人に善をなすことであること、霊魂の不滅、すべての罪と徳行は現世あるいは来世においてかならず罰せられあるいは報いられること、などについては、けっして疑ったことはない」と明言している。そしてかれは、これらの「主義」を、自分の頭から捻り出した考案と謳うのではなく、「あらゆる宗教の本質であると考え、わが国の宗教のあらゆる宗派に見いだせることなので、わたしはすべての宗派を尊敬した」(The Writings of Benjamin Franklin, 324-5, 松本/西川訳、131-2)と語る。言い換えれば、ここでフランクリンは、善徳に「有益」をもって報いる「勧善懲悪神」によって現世の「(「倫理的に合理的な」)平衡構造」が成り立ち、その神は同時に「慈悲の神」として、(「完徳の域」には到達できない「倫理的弱者」としての)フランクリンにも善徳をなさしめようとしている、との所見とその由来を、自分の独創ではなく、「啓示」「天啓」「天啓宗教」(かれのばあい)「キリスト教」に帰しているといえよう。なるほど、ヴェーバーは、この所見の「論拠」を明示的に『自伝』に求めているわけではない。しかし、そうしていると取れば、(なるほど「啓示」という単語こそ出てはこないけれども、意味上無理なく)この箇所を典拠と解することができよう。

 ところが、羽入は、「文献学」とは、(「啓示」なら「啓示」という)単語を取り出し、それと外形上一致する単語を捜しまわる「キーワード検索」風の作業(を、コンピューターに代わって人間がやること)と心得ている[7]。このばあいについても、ヴェーバーによる「論拠A」の一文から、「啓示」という一語を抜き出し、その意味を(辞書で調べれば、「超自然的な仕方で神の真理ないし神意が人間に開示ないし伝達されること」一般の謂で、キリスト教では聖書そのものが「神の言葉の啓示」と解される、と出ているのに)なぜか「聖霊降下を受けて回心する劇的な一回的体験」というふうに誇張して狭く解釈したうえ、『自伝』の「キーワード検索」に着手し、“Revelation”という語形が、別の(上記のとおり、一段階まえの「『三徳』にかんする功利主義的確信への改信」の)局面に出ていることに気づきはする。そこでは、フランクリンは、「自分は(真実、正直、誠実の)三徳目を生涯遵守しようと決意したが、それはなにも、それらの徳目が従来『神の啓示』として命じられてきたからではなく、人間の幸福にとってきわめて重要であるとの確信に到達したからだ」との趣旨を述べている。つまり、「神の啓示」を中心に据える「啓示宗教性」の立場から「人間の幸福」を規準として徳目の効用をも評価する「功利主義的」見地への移行を表明している。そこでヴェーバーは、「『改信』物語」の意味を汲んで、その箇所を適切に、フランクリンにおける「功利的傾向」の証拠、したがって「(功利主義を越える側面にかんする)論拠A」の反対証拠として挙示した。ところが、意味よりも語形を優先させる羽入は、「論拠A」の「啓示」(羽入には「啓示体験」)は、『自伝』に見つからず、他方「『改信』物語」のコンテクストには「啓示」という語形が出てくるというので、反対証拠と証拠とを混同し、「『改信』物語」のほうから「啓示」を取り出すという「迂回路」に入り込む。以後、延々と「ヴェーバー藁人形」との空中戦を演じ、オリジナル草稿まで持ち出し、けっきょくのところ「啓示」とはたんに「啓示宗教」「キリスト教」のことらしいと、(語義を辞書で引いて文意を捉えれば、初めから分かりきっている)出発点に戻ってくる。その「独創的」空中戦が、議論としてはいかに独り合点の誤読と牽強付会で紙幅を塞ぐだけの代物であるかは、本稿「批判結語(3−2)」「同(3−3)」で詳細に跡づけたので、ここで繰り返す必要もあるまい。ただその途上で、羽入は、フランクリンがnot (indeed) A, but B の構文で、「なほるど『啓示』そのものは重みをもたず」(A)、「同じ内容の徳目でも、その評価規準は『啓示』でなく『人生における幸福』に移されていた」(B)と、Aの趣旨をBで敷衍して言い換えているにすぎないところを、字面から意味内容に踏み込めないために、AとBとは逆接関係にあると読み誤り、当の構文までindeed A, but Bの譲歩構文と取り違えている。すなわち、「中学英語さえ分かれば誰にでも分かる杜撰」(139)な取り違えを犯し、「フランクリンが用いた副詞“indeed”(“in der Tat”)が一体どこの部分と呼応しているのかということにも気づかなかった」(190)というのは、このばあいもヴェーバーでなく、羽入自身である。

 「論拠B」については、本稿「批判結語(3−7)」で論証してきたとおり、羽入は、「勤勉を富と名声を得る手段と心得る」との文言を、(中学生でさえ成心なく読めば)「勤勉(禁欲)を手段として富(貨幣増殖)を追求する」こととじつは同義と読めるにもかかわらず、なぜかそうは読まず、(おそらくは「『富』追求は功利的、『勤勉』は倫理的」といった生硬な観念論的二者択一に囚われて)むしろ前者が後者の「反証」になると早合点した。そしてそれ以後、この独断的な思い込みを、あたかも「自明の理」であるかのように主張し、ヴェーバーの立論を「客観的に整合的objekitv richtigに」補完しながら、(羽入ひとり)主観的には「『自伝』を現に読んでいる人間には到底付いていけないほどのグロテスクなまでの暴論」と決めつけてしまった。

  しかも、第六節では、「われわれがこれまで確認してきたことをまとめるならば」と前置きして――つまり、すでに確認ずみの事項であるかのように見せかけながら――、ヴェーバーがフランクリンの『自伝』から『箴言』22: 29を引用したさい、後続の「勤勉を富と名声を得る手段と心得えた」という文言は引用しなかった事実を、前節では「読者には……分からないような仕組みになっている」との表記にとどめていたのに、ここにきて「でっち上げ」「詐欺」と、解釈を改め、公然と言い放つにいたる。前段として、かれはいう。

 「彼[ヴェーバー]はさらに、『自伝』において『箴言』22: 29から引用がなされている部分のコンテキストを、今度は『啓示』の場合のように単なる不注意からの軽率さからではなく恐らくは意図的に無視した。彼は、『箴言』22: 29のすぐ直後の[sic]フランクリンの文章『私はその自分から、勤勉を富と名声を得る手段と考え、これに励まされていた』を読んでいたにもかかわらず、フランクリンの倫理の『「最高善」とは、あらゆる無邪気な享楽を厳しく避けて、金を、さらに沢山の金を儲けることなのであり、余りにも全ての幸福主義的、いやそれどころか快楽主義的観点を取り去られており、純粋に自己目的と考えられているために、個々人の「幸福」や「利益」に対してはとにかく全く超越したもの、およそ非合理的なものと立ち現れてくるほどなのである』と主張した」(190-1)。

  これも、いつぞやお目にかかった悪文に似ている。「すぐ直後のsic]フランクリンの文章」の第五回目に当たる引用のあと、これと「フランクリンの倫理の……」以下――「貨幣増殖を『最高善』として禁欲的に追求せよとの要請」(第一要素)――とが、あたかも「食い違う」との印象を引き寄せようとするかのように、後者を引用句/半引用句混じりで延々と誇張して書き記さなければならなかったのであろう。ここでも、どう「食い違う」かの根拠は示されず、「勤勉を富と名声を得る手段と心得た」という文言の反復だけが「頼みの綱」のようである。しかし、羽入はここで、第三章を結ぼうとするに当たり、第一/二章ではヴェーバーを「詐欺師」「犯罪者」と論定しようにもできなかった事実を、いやおうなく思い起こしたにちがいない。自著の前半を終えて後半に入ったいま、ここでその論定ができなければ、表題として打ち上げたアドバルーンも急速に萎んでしまう。いまや、是が非でも!。そこで羽入は突如、「自分が責任をもって……」ではなく、「世間では普通こうした作業を指して『でっち上げ』と言い、そうした作業をした人物を『詐欺師』と呼ぶ」(191)といってのける。個人として責任を負わず、「世間」に事寄せて曖昧にものをいいながら「なんとか生き抜けよう」、「あわよくば『学界−ジャーナリズム複合体制』の『寵児』たらん」というポピュリスト(「大衆迎合論者」)の面目躍如といったところではないか。

 しかし、「こうした作業……そうした作業」とは、どの範囲で、なにをいうのか。「勤勉を富と名声を得る手段」という文言を引用しなかったことだけか、それとも、「論拠A」にかかわる「啓示」問題における「不注意からの軽率」まで含めているのか。いずれにせよ、(責任ある主体の不在もさることながら)他人を「詐欺師」と認定する証拠の開示として、こんな曖昧ないいかたが許されていいのか。当の文言をどう解釈するのか、それが「貨幣増殖を『最高善』として禁欲的に追求せよ」との要請(第一要素)とどう「食い違う」のか、――自分の責任ある解釈を提示することなく、ただ両者が「食い違う」と、あたかも「自明の理」でもあるかのように繰り返し主張し、そこが重要なポイントと決め込んで、だから引用しなかったのは(なぜヴェーバーが引用しなかったのか、ありうべき根拠に思いをいたすいとまもあらばこそ)「不作為の作為」による「不都合な」事実の「隠蔽」にちがいないと決めつけ、「世間」に事寄せて「でっち上げ」「詐欺師」と裁断するのである。本稿で論証してきたとおり、羽入書は内容として杜撰で、表記法/評言も粗暴である。そのうえ、これほど無責任な論法で、「死人に口なし」とばかり、「詐欺師」との裁断がくだされている。こうした論法が、大学の教室/研究室、法廷、言論の公共空間でまかり通り、いともかんたんに人が「詐欺師」と認定され、処罰され、(当人ばかりか関係者も)広く不利益を被るようになっも、本来は「責任倫理性」を喚起、育成すべき学者/大学教師が、「見てみぬふり」を通すほかはないのであろうか。

 そればかりではない。本稿「批判結語(3−3)」第.項で論証したとおり、羽入自身が、引用のさい、自分に不都合な文言を省いている。フランクリンは『自伝』で、「こうした信念をえたお蔭で、さらにまた、恵み深い神の摂理のためか守護天使の助けのためかあるいは偶然にも環境に恵まれたせいかまたはそれらすべてによってか、わたしは遠く父の完徳と訓育のもとを離れ、他人の間にあってしばしば危うい境遇に陥ったにもかかわらず、危険の多い青年期を通じて、宗教心の欠如から当然考えられる意識的な下等下劣な不道徳や非行をひとつも犯さないですんだのである」(296-7, 93)と述べているが、羽入はこの一文を、「こうした『信念は……』――とフランクリンは続ける――『青年期のこの危険な時期を通じて、……私が信仰心を欠いているから当然予想されたような、意識的なはなはだしい不道徳や非行から私を守ってくれた』」(164)というふうに引用し、「恵み深い神の摂理」を初めとするフランクリンの文言を、「――とフランクリンは続ける――」という語句の挿入によって、読者には読めないような「仕組みにして」いる。しかも、その「恵み深い神の摂理」は、ここにおける羽入の論証にとって不利/不都合な内容である。したがって、ヴェーバーを「不都合な」文言を「切ってしまって」引用しなかったとの理由で「詐欺師」として断罪することができるとすれば、羽入も、明らかに不都合な中間の文言を抜き取って別の語句を挿入し、「読者には分からないように」しているからには、同じく「詐欺師」として断罪されるよりほかはない。

 羽入は「天を仰いで唾して」いる。しかもかれには、降り落ちてくる自分の唾を、唾として受け止める感性がない。「いいっぱなし」、「やりっぱなし」である。「自分に不都合な事態を直視して責任をとる勇気」としての「知的誠実性」を、このとおりまったく欠いていること、これこそ、当の「知的誠実性」を楯にとってヴェーバーを糾弾し、「詐欺師」扱いしている人物の正体である。(200537日脱稿)

 

謝辞:昨年一月から一年あまり、このHPに寄稿をつづけ、橋本努氏にはひとかたならずお世話になりました。多くの方々には、このHPを通して拙稿をご高覧いただき、直接間接ご批評を受け、お励ましもいただき、まことに有り難うございました。

 じつは昨年から、このコーナーへの全寄稿を「インターネットを活用した論争の記録」として出版したいと考え、橋本氏とも相談してきました。ところが、このたび未来社から、筆者の主張をストレートに打ち出した論稿に改訂を加え、ヴェーバー研究にかんする「回顧と展望」風の論稿とも併せて一書にまとめ、『ヴェーバー学のすすめ』の続篇として出版したいとの話がありました。そこで筆者は、橋本氏らとも相談、熟考の末、「論争記録」の出版企画は堅持して、各位の寄稿にたいする筆者の応答はそちらに譲り、とりあえずそれ以外の拙稿を分立させて、羽入書への内在批判と状況論的外在考察を一冊子にまとめ、公刊しておきたいと考えるにいたりました。といいますのも、「批判結語」シリーズのあとには、羽入氏の博士論文原本を閲覧し、東京大学大学院人文社会系研究科倫理学専攻の関係者に「論文審査はどのようにおこなわれ、いかなる評価がなされたのか」との問題を提起し、論争に入る予定でおります。それには、筆者側の主張を一書にまとめて公刊しておいたほうが、論争を確実な資料と論拠にもとづいて進めることができましょう。また、インターネットにはアクセスしておられない方々にも、関心を寄せていただけるのではないかと思います。

 上記の論争では、当該研究科に「論争の場」として専用のHP/コーナー開設を要望いたします。しかし、それが叶えられないばあい、なお橋本HPの「軒を借り」つづけるわけにもいきますまい。そこで筆者もそろそろ、自分のHPを開設し、橋本HPとも連携を保ちながら運営していかなければならないと思います。

 そういうわけで、橋本氏のこれまでの努力に、深甚な謝意を表し、今後の連携と協力をお願いするとともに、このコーナーへの連続寄稿は、とりあえず本稿をもって終え、「批判結語(その4)」以下は、未来社から刊行予定の『学問の未来――ヴェーバー学における末人跳梁批判』(仮題)に収録し、その後の論争は、折原HPのほうでご覧いただけるようにしていきたいと存じます。なお、これまで橋本HPに掲載されてきた「批判結語(その3)」までの全連続寄稿は、改訂・分立前の論争資料として、橋本HPにひきつづき掲載していただこうと思います。そのうえ、「論争記録」の出版企画のほうも、橋本氏と相談し、実現をめざして努力していく所存です。(200537日記)

 

 



[1]『ヴェーバー学のすすめ』、141-4ぺージでは、その趣旨でこの箇所を引用した。

[2] たとえば、さまざまな「賞」を、「(職業上その他の)卓越distinction」にたいする「ねぎらい」「奨励」の機能と、「名声の世俗化作用」という「逆機能」との両義性をそなえた制度として捉え返し、(これと関連しては)「外面的褒賞」への対応を、「(職業的)禁欲」したがって「名声の世俗化作用」を忌避する度合いを測定する尺度に仕立て、一方に「辞退」(たとえばイチローとサルトル)、他方に「応諾」(たとえば大塚久雄と大江健三郎)を挙示して弁別する、など。あるいは、「高度成長」が「富の世俗化作用」のみか、総じて「名声の世俗化作用」も強め、「賞ばやり」の昨今、学会までがこぞって「学会賞」を設けるようになった現状への批判と(おそらくはそれにもまして)「ポストモダン」の反禁欲主義を触発する、など。

[3] 現在では、『全集Max Weber Gesamtausgabe』版 I/8, 1998, Tübingen: J. C. B. Mohr, S. 81-199に「編纂報告Editorischer Bericht」付きで、『社会学/社会政策論集Gesammelte Aufsätze zur Soziologie und Sozialpolitik, 1924, 21988, Tübingen: J. C. B. Mohr, S. 323-93には本文のみ、収録されている。簡潔な解説としては、R・ベンディクス/拙訳『マックス・ウェーバー――その学問の包括的一肖像』上、1987、三一書房、42-7ぺージ。

[4] ヴェーバーは、本文で「理念型」と記した箇所に注を付し、「ここで『理念型』というのも、われわれがここで観察の対象としている企業家類型はけっして経験的に与えられたものの平均ではない、というほどの意味である」と述べ、「客観性論文」の参照を求めている。

[5] たとえば、『箴言』22: 29 melā’khā のフランクリン父子における訳語callingが、ルターでなくバクスターに由来すると指摘していて、羽入がそこを参照していさえすれば、フランクリン父子のcallingがルターの訳語Geschäftに直接一致しない当然の事実を「アポリア」に見立てるような迷路に入り込まずにすんだであろう箇所(GAzRS, I, 169-71, 大塚訳、300-4、梶山訳/安藤編、303-674、拙稿「批判結語2−1」注10参照)など。

[6] 本稿「批判結語(3−3)」第.項で立証したとおり、羽入は、フランクリン『自伝』の一節を引用するさい、羽入には明らかに不都合な、「恵み深い神の摂理」「守護天使の助け」「有利な環境」への論及箇所(好都合な文言の間に挟まれた部分)(だから、明らかに意図して削除し、「読者には……分からないような仕組みに」している。

[7] 筆者は、自分の著書ないし翻訳の索引も自分で作成することにしているが、それは、人任せにすると、見出し語そのものは出てこない関連箇所がしばしば脱落するからである。